「検証していないことは、黒ではない。」
<「検証」>
何かをよくするためには「検証」をしなければなりません。元のものからよくなっているかを確かめるためです。検証することで、それが正しいかどうか(白か黒か)がわかるのです。
「検証」は考えることではありません。実施することです。もちろん全てのアイデアを「検証」することはできませんから、考えてスクリーニングする必要はあります。
しかし、1つも2つも「検証」できていないことは、良くしようと行動していていないことです。あなたが今、「検証」しているアイデアは何ですか?
<アイデアを出す障壁>
アイデアの価値というのは時に逆説的です。
つまり、すぐに多くの人に賛同を得られるようなアイデアは価値が低く、
「それのどこが?」と言われるくらいの方が価値が高いことが多々あります。
(価値が低いからといって、影響が小さいわけではありません。誰もが思いつくけど誰もやっていないなら、やることで価値が出ることもあります。)
最初の行動が起こし辛いですよね?
「そんな陳腐なアイデアを発言した者と思われたくないから」
「そんな雑なアイデアに時間を費やしたと言われたくないから」
周りには批判者がいます。あなたの近くの賢い人は「それが良いアイデアでない理由」をものの数秒で綺麗な論理を立てて説明し、時に過去の最もな事例を引き合いに出して、まくし立てるかもしれません。
これだけ聞くと、「私は誰に何を言われても大丈夫だ」と思うかもしれません。
でも、その批判者の中には、あなたが日頃から信頼し尊敬している人も含まれるのです。想像してみてください。
それでも、屈っさずに通せますか?それくらいの火薬は積んでおきましょう。
大好きな人も、賢い人も、実績と経験を持っている人も、信頼している人も、尊敬している人も、誰一人として神ではないのです。
そして、そのアイデアを思いついた背景やストーリーや知識が全く同じ人間も一人として存在しません。あなたは「あなた」なのです。
もちろん、
・モラルに反してはいけません。
・見ず知らずの他人に迷惑をかけてはいけません。
・近しい友人・知人に「さすがにこれ以上は協力できない」と言わせてはいけません。
・その考えうる限りの最良の結果が、自分を含む誰かを助けることにならないものなら、やる必要はありません。
しかし、これらを満たさないなら、なぜ、やらないのですか?逃げていませんか?
少なくとも、この記事を読んでいるということは、あなたの目は動き、頭は考える力があり、1日の数十分は自由に使えるのではないですか?
幸いなことに、お願いすれば協力してくれる仲間もいるのではないですか?
もっと幸いなことに、それに多少過熱気味になっても、明日死なない程度の余裕はあるのではないですか?
<検証できていないことを、頭ごなしに判断しない>
「検証していないことは、黒ではない」のです。
気になるなら、少しの勇気でできるなら、黒であることを確かめましょう。
アインシュタインも言っています。
「情報は知識にあらず」
こうするといいらしい、とか、こうするとダメらしいとか、そんな情報は知識ではないのです。自分がやってみて、知識となるのです。
あなたは情報で満足ですか?知識を得たいですか?
情報はたくさん持っているが、知識を持っていない人はたくさんいます。
知識をたくさん持っているが、新しい知識を得ようとしていない人もたくさんいます。
知識も情報もほとんど持っていないが、新しい知識を得ることに向き合っている人もいます。
決して惑わされないでください。その人は検証していますか?
「検証していないことは、黒ではない」のです。
<アイデアに出会った責任と役割>
そして、あなたはそのアイデアに出会ってしまったのです。それが、少ないかもしれないし、多いかもしれないけどもしかしたら将来、人を助ける可能性があるのです。
時間がない、と言われるかもしれません。しかし、真実を言いましょう。
あなたが今、人の指示やルールの中でやっている他の重要な仕事は99.9%以上の確率で他の人に代わっても支障はありません。とても残念ではありますが。
でも、そのアイデアはどうでしょうか?
思いついたあなたがやらなければ、誰もやらないのではないですか?
やったとしても何年か後になるのではないですか?
その何年かの間、助けられるべきだった人はどうなるのですか?
これは日々のちょっとしたアイデアかもしれません。こうしたら会社がよくなるかも、とか。それが大きいテーマなら「起業」という選択肢かもしれません。
他の人がやらないようなこと、やっていないこと。
でもやったほうが良いんじゃないかな、と思ったこと。
それが人を助けることになるかもしれないこと。
やりましょう。
アインシュタインは、こんなことも言っています。
「失敗したことがない人間というのは、新しいことに挑戦したことのない人間だ。成功者になるためではなく、価値のある者になるために努力せよ。」
価値のある者になること、それが自分を生きる、ということなのではないですか?
<諦めるというのは、エゴイズム?>
100回目くらいのチャレンジで白(ホームラン)に出会えたら、あなたはきっと天才でしょう。
1000回目くらいで白に出会えたら、あなたはとても運が良いのでしょう。
10000回目くらいで白に出会えなかったら、そろそろ諦めても良いかもしれないですね。
そのくらいで考えていいのです。
3回くらいやって黒が続いたことで「もうダメだ」って言ってませんか・・・?
30回くらいやって、「やり尽くした」って言ってませんか・・・?
進めなくなったらゲームオーバーですけど、まだ進めるんではないですか?
良いアイデアと思うなら、勝手に諦めるのは、単なるあなたのエゴイズムかもしれません。楽をしたい、もっと簡単なことをしたい、と自分を甘やかす行為ではないですか?
繰り返しますが、あなたはそのアイデアに出会ったのです。
とても幸いなことに、あなたにはたっぷり時間があります。あなたが何歳であれ。
若い人には失敗する時間がたくさんあります。年を重ねている人には、これまでの経験と、加えてまだまだ十分な時間があるのです。
ほとんどの人は、明日死ぬわけではありません。つまり、24時間はあなたのものです。24時間あればいろんなことが検証できます。
そしておそらく1年後も生きているでしょう。つまり、8,760時間もあなたのものです。
さらにこの何倍も、あなたには与えられているのではないでしょうか?
その使い道の意思決定者は、「あなた」なのです。
良い決断をしましょう。