「始めること」は、何もすごくない。すごいのは「続けること」。
「独立をしました」
「新たな取り組みを始めました」
「英語の勉強を始めました」
「A社に就職(転職)しました」
「昇進しました」「◯◯役に選ばれました」
「立候補しました」
自分が始めることは何もすごくない。(といつでも思っていたい。)
もちろん、それぞれの背景には、何かの甘えを断ち切って始めたという経緯はあるかもしれないから、あとから見返してみて、すごいこともあるとは思う。
でも、その始めた時点では、何もすごくない。勘違いしないようにしたい。
なぜか。
それは、途中でやめたら無価値だから。すぐやめたらむしろ、負の価値かもしれない。
続けられないことを始めるのと、続けるために始めることは、始めた時点では誰も区別がつけられない。
続けることは、とてもすごい。だから、それに比べて「始めることは何もすごくない」。そして、「続けられないことを始める」よりも、「続けられないことを始めない決断」の方がすごいことだ。
[すごさの優劣 ]
続けること >>> 続けられないことを始めないこと >>> 続けられないことを始めること > やりたいと思ったことを何も始めないこと
この理解をした上で、始めることを公に宣言することはとても勇気がいる。
続けられなかったらマイナスになるから。「あぁ、口だけの人だ」とも言われて当然だ。
「有言実行」は「有限実現」ではない。
それを乗り越えて、宣言して、やり続ける。これが「有言実行」だ。こういうことができる人は尊敬する。結果的に、その人が周りの人がいう成果にたどり着かなくても。
独立して大成功しなくても、英語が喋れるようにならなくても、続けていることが有言実行だと思う。実現することはすごいことだけど、同じ実行をして実現した人としなかった人の差はそれほどないかもしれない。
また、「有言実行」は「多言少実行」でもない。
決して、いろんなことをやります、と言いまくって、そのうち数少ない一つをやり抜いたことを有言実行とは言えない。だから、「有言」行為自体をかなり考え込まなければならない。やると宣言したことは、同じ宣言をした100人中99人が止めるというまではやめない覚悟がいる。