失敗だらけ
ふと思った。失敗を書き出してみよう。
いつからだろう。失敗というのが当たり前の感覚になったのは。
サラリーマンの時?いや、そうでないように思う。
サラリーマン当時は失敗のことを「まだうまく行っていないこと」と、呼んでいた気がする。記憶が定かではないが。
本田宗一郎氏の有名な言葉はかなり昔から好きだった。「成功は99%の失敗に支えられた1%だ」でも、実践できていたか?いや、絶対にできていない。
失敗から逃げていた。ただ、ひたすら。逃げるのは簡単だ、考えなければ終わりなのだから。
当たり前になったのは、何をやってもうまくいかないことが普通になった時に感じられるようになったのだと思う。サラリーマンは評価してもらえる。善意の取り組みや、苦労をしていることを否定できる人なんて、そうそういない。厳しいことを言ってくれる人も幸いいたが、マイナスしか言われないということは経験してこなかった。
しかし、独立すると事業がうまくいく以外は全て赤点だ。 失敗のつぎにあるのは失敗でその次も、その次も失敗である確率が、天文学的に高い。
ここ1、2年の自分の失敗を分類して列挙すると以下のようになるだろう。
・伝えることと伝わることが同じだと思っていた
「あいうえお」といえば「あいうえお」と伝わると思ってしまっていた
伝わることは決して聞くことではない。解釈だ。そこが全くわかってなかった。
・なんども見積もりを破った。
これは1日でできる。そう行って、1日で8割作り、残りの2割に3日かける。
そしてその時に的確に言い訳をつけてきた。「いや、これは結局やることになるんだからアドオンだ」この失敗は数えきれない。
・自分のやりたいことは、みんなやりたいことだと思っていた
自分がやりたいこと、これができたら面白い、と思うことは、当然みんなそう思っていると思っていた。しかし、現実は違う。「あなたほど暇じゃないんです」ということだった。
・できないことができるようになることを成長だと思っていた
全く違った。それは成長ではなく、できないことができるようになっただけだった。
成長は、それを結果に繋げられる力を身につけた時だった。
・好奇心という名の下に、寄り道をして著しく効率を悪くする病気に気づいていなかった。これは、もはや治る気配はない。もう、諦めた。
・自分が経験していない、体感していないのに、人の話を信じてばかりだった
自分自身が苦労して体験しなければならないことを、結果だけ知れればスキップできるものだと思っていた。スキップするのはプロセスだけでなく、"体験"だ。つまり、知っただけの結果は全然身につかない。
・人にとって難しく、自分にとって簡単なことをやることを経済合理性だと思っていた。
前提として、その行動に意味(その人にとって喜ばしいこと)がなければならなかった。
・みんなに気に入られようとしていた
万人が望む理想像は何だろうという前提を、見直すことを忘れていた。
万人を助けることはできない。1人を助けられるだけでも、どんなにすごいことか。
・自分はアイデアマンだと思っていた
実際には、多くの人にとって奇妙なガラクタ(=ゴミ)を作るのが得意だった。
・今も全く治っていないのに、ここで過去形でさも治ったかのように失敗談を書いていること
他にもたくさんあるが、これくらいにしておこう。
とにかく、失敗だらけなのです。
そして、ご存知の通り(お察しの通り?)、私は少なくとも成功はしていない。つまり、100%の失敗を継続中だ。パーフェクトということだ。すごい。
もう、落ち込むことすら面倒臭くなった。(はず)いや落ち込むけど。
「退場」を宣告される以外、もうこの失敗は積み重ねられていくしかないのです。そしてそれも慣れると、悪くないものなのです。ちょっと落ち込むけども。
もう、失敗しか自分に教えてくれるものはないのだから。