執念を持てない仕事なんて、やめてしまえ。
儲かりそうとか、
ちょっと得意だとか、
ちょっとやりたいとか、
あの人よりうまくやれるとか、
スキルや資本や何かを持ってるとか、
それしかできないからしょうがないよね、
とか、そういうのは、一旦、どうでもいい。
そこに執念を持てないなら、早めにやめてしまえ。
厳密にいうと、執念を持てているかではなく、執念を持つ気があるかどうかだ。持てる可能性があるうちは続けて良い。
憧れでも、意欲でも、理想でもなく、「執念」だ。
固執して、へばりついて、それでもなんとかしてやるという観念だ。
殴られようが、ツバを吐かれようが、惨めに思われようが、それに対抗できる覚悟だ。
逆に、執念のない仕事は、競争力がほとんどない、と思った方がいい。
それがすごいとかかっこいいとかできるとか、自分に合ってるとか。
そんなの本当にどうでもいい。
執念を持てるのか。それだけだ。
なぜなら、やりたくて、やるべきで、誰もやっていないことをやろうとすると3回くらい、いや5回、10回くらい壁にぶち当たるから。
普通の意欲なら、2回目くらいで嫌になる。自分には向いてないと思い出す。人に頼りたくなる。それが10回くる。執念があっても足りないくらい。
いやいや、執念なんて持てない、と思うかもしれない。
いま持ててないことに、何ら恥じる必要はない。
恥じるべきだとすれば、その可能性を探していないことだ。
実は探すのは、方法的には、そんな難しくはない。最も簡単な方法は、環境を作ること。人によってやり方は違う。
ある人にとっては、宣言することだけかもしれないし、ある人にとっては独立かもしれない。
つまり、退路を立つと、執念は見つけやすい、と思う。
「執念」
人間にあって、人工知能にないもの。
圧倒的に自分より賢い人、資本力のある人を負かす唯一の武器。
誰もが、手に入れる覚悟さえ持てば、手に入れられる可能性があるもの。
大事にしよう。
*注意:これは、仕事で何かしら優位に立ちたいと思う人だけに適用できる論理である。持たないといけないというわけではない。でも、稼げるようになりたいとか、貢献したいとかそういう風に思うなら、必要な考え方だと思う。