「急がば試して回れば、無駄は無駄じゃなくなる」と思う件
2016年は、サービスの立ち上げを行い、奔走した。(正確には「まだしてる」が。)
今から考えると随分無駄なことをやったともみれる。
もっとうまいやり方はあっただろう。
今の自分が、もう一度やるならば、もっと短縮できるだろう。
もっと、いろんなものを効率的に動かせるだろう。
でも、もう一度、同じスタート時期に戻ってやるとしても、たぶん同じやり方をすると思う。矛盾しているように聞こえるかもしれないが。
なぜなら、その時点での自分のすべて、思考力、余裕力、自信、スキルでできることをすべてやってきたはずだから。
「急がば回れ」という言葉がある。
これを、よく「急いでるからこそ、よく考えて・・・」と思いがちだ。
自分もそう思ってた気がする。
じっくり考えて、戦略を練って、動く。
それが賢いやり方に思えた気がしてた。
もちろん、失敗が命を落とす戦なら、正しいだろうけど。
でも、多くの人が奔走しているのはそんなフィールドじゃないと思う。
だから、失敗は出し尽くすことが良いと思うようになった。
思考で回ってもしょうがない。
実際に失敗を確定させなければ、もしかしたら成功する確率を捨てていくことになるし。
思考の回転は、迷わない限り、やれば良い。
論理立て、仮説立て、シミュレーションというやつ。
(コンパクトにというのは当然だけど)
でも、こんなことは、誰しも大小の差はあれど、やるものだと思う。
簡単な方法論もある。単に、文章化するだけ。思いついたすべてのパターンを。
思考のループに陥ると、迷っている時に、あれこれ考え続けてしまう。
メモリオーバーして、3割くらい計算間違いしているのに。それこそ無駄だ。
例えば、アウトプットをA案とB案で迷った時。
どっちがいいかを考えるのに時間がかかり過ぎるようなら、
A案の1/10とB案の1/10を作ってみる。
人に見せてみる。
思い切って出してみる。
たまには怒られる覚悟でもいい。意外と怒られないから。
それが「急がば回れ」ということなんだと思う。
つまりは、思考ではなく行動で遠回りすることに、フォーカスすべきということ。
思考でループして、「急がば回れ」だしというのでは、失敗の数も成功の数も減る。
そう考えると、これまでやってきた無駄のように見えるものは、思考の履歴ではなく行動の履歴だから記憶に残っているわけで、自分がそれを認識している限り、無駄に見えるようなものは、実は無駄じゃないということになる。
無駄になる時は、その結果を利用しなかった時。
だから、うまいやり方を知っていたら、今のスキルを持って1年前に戻れたら、ということ自体がナンセンスで、それは将来から見た今も同じ。
ただ、やり方は、この経験を繰り返すたびに確実に上手くなっているはずだ。
必死で、やって悩んだら、両方にコンパクトに触れてみて評価する。
結果を見て、選択し、次につなげる。
それが無駄かもしれないとか、もっと賢い人なら違うやり方をするかもしれないとか、そういう思考が無駄だ。
急がば試して回れ。
無駄が無駄じゃなくなる。