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12年のサラリーマン生活から飛び出した社長のブログ

株式会社エフォートサイエンスの社長、村上のブログです。本ブログは私的なものです。

「世にありて、おもしろくなきことを、おもしろく。」

私が好きな言葉の一つに「おもしろきこともなき世を、おもしろく」という高杉晋作の詩がある。この詩は色々な解釈があるらしい(実は「おもしろきこともなき世"に"」だったなど)。

私自身は、ストレートに捉えて、「面白いことがない世の中を、自分の力でおもしろくしてやる」、という意味と捉えて、その生き様を想像し、好んでいます。

 

しかし、よく考えれば、この歌、少し、違和感がありませんか?

 

というのは、時代が違うからなのでしょうか、現代では「この世はすでに面白い」のです。なので、好きだけど自分の行動を変える歌にするためには、少し変えなければならないな、と思って、以下のように言い換えてみました。

もちろん、誰の許可もなく。笑

 

「世にありて、おもしろくなきことを、おもしろく」

 

この言葉にはいろんな意味合いが詰まっています。以下のようなところがポイントです。


①対象を事象に絞り込んだ
②「おもしろくない」は「趣がない」「不愉快な」というニュアンスもある
③「世にありて」を冒頭に追加
④まだ何も成していない自分がブログに書くことについて

 

誰にも頼まれていませんが、一つずつ、説明します。

①対象を事象に絞り込んだ
 これは、どれほど共感されるものなのか、全くわかりません。ただ、私自身は、平和で、比較的に努力の自由が認められていて、少なからず皆にチャンスがあり、先人たちの発明の産物で、モノやコトに恵まれ、多少の不治の病を直してしまうこれまた先人たちの贈り物があり、そう言った先人たちのおかげで何か自分たちも可能性を感じられるこの世の中は、面白いとしか思えないのです。


でも、探せばおもしろくないことはいっぱいあります。仕事をせずに給料をもらっているような人を見た、とか、冗談ですが。(笑)
何れにしても対象を「事象」に絞り込むことで、より万人が共感でき、どのタイミングでも共感できるのではないかと思ったわけです。

 

②「おもしろくない」は「趣がない」「不愉快な」というニュアンスもある

 「おもしろくない」はおもしろいですね。言い換えると、「おもしろくない」という言葉は、何事にも変えがたい「おもしろさ」を持っていると思うのです。それは、一般的な「趣がない」系の意味で使われる意外に、「不愉快な、不平な」というニュアンスを含みます。(給料をもらっていない人を見たときの気分は、こちらですね。)そして、この一見、関連性乏しい二つの意味合いも、文尾の「おもしろく」にかけると、どちらも違和感なく繋がってしまい、かつ、そこに意味が並存するように思うのです。一般的な意味合いの方は置いといて、「不愉快なことをおもしろく」という方について。私自身は、「不愉快」を作り出すのは自分自身の尺度だと思っています。しかし、時には人に作られたもの、万人共通のものと捉えてしまいがちです。そして、それを発する人に責任を押し付けて片付けようとしてしまう、ということがあるのではないでしょうか。
 でも、「おもしろく」につなげることで、自分の力で、おもしろくしてみよう、つまり、他責にするのではなく、自分でなんとかしてみよう、解釈を変えてみたり、状況を変えてみたり、と読めるのです。

どうでしょう、とても面白いと思いませんか。

 

③「世にありて」を冒頭に追加
 語呂合せ、と言ったらそれまでですが、私は世に生まれてきたことを、何かを自発的にやる理由にして良いと思うのです。生まれてきたことには、みんな意味があって、大義があると思いたいです、すべての人に。
 

 それは、大きなことを成し遂げるだけではなく、限られた家族を幸せに、笑顔にする人も十分にその大義の一つと考えていいと思うのです。なのに、「なんでわざわざ面倒になることを考えたり、やらなければならないの?」っていう人いませんか?
 近しい人だったら、いろんな理由をつけて説得しようとするかもしれませんが、私は「それは、あなたが無事、この世に生まれてきたからですよ」でその議論が終わる関係に憧れます。つまり、そんな、「しないこと」の議論に労力を割く必要がないと思うわけで。こんな意味を込めて「世にありて」をつけてみました。

 

④まだ何も成していない自分がブログに書くことについて
 私はご存知の通り(?)、何も成していないただの凡人の一人です。なのに、偉人になった気分で、恥ずかしくも偉そうなことを、パブリックによく書けるな、と思われた人も多いでしょう。。。

というのを感じてここに書いている時点で、私の中にそういう思考がゼロでなかったこととも言えるでしょう。しかし、そんな自分へも含め、反論します。

 

「偉くなったから、何かをする」という人がいたら、その人は偉いのでしょうか?偉くなるのでしょうか?その時点で絶対ならなそうですよね。いや、正しくは、なって欲しくないですよね。笑


そう考えて、私はこう思いました。

「偉いから偉人なのではない」し、もしかしたら「偉人は自分のことを偉人とすら思っていなかったりするんじゃないだろうか」と。

 

何が言いたいかというと、ふと思ったことは事実で、それを心から気に入っていて、その言葉をこれから生きていくことの糧にしたい、と思うことに嘘がなければ、いいということです。ビッグマウス発言と呼ばれるような発言や、夢や野望、も同じことなんじゃないかな、と。


そもそも、私自身は何かを成したと言われることを成したいわけじゃなく、自分自身が成したいと思うことを成したいわけなので、、、どう思われるかということは気にする必要なんて全くない、と思ったわけです。

 

そう考えていくと、逆に、思ったのに引っ込める方が偉ぶっていると思った次第です。まぁ、書きたかったのはこの④の思いが「主」なんですが。

 

以上、10年後の自分へ向けて。