12年のサラリーマン生活から飛び出した社長のブログ

株式会社エフォートサイエンスの社長、村上のブログです。本ブログは私的なものです。

「怒ってますか?叱ってますか?、非難してますか?批判してますか?」

「怒る」と「叱る」は違う、というのはよく聞く話です。

それは例えば、こういう違いです。

「怒る」と言う行動がただ感情をぶつけることに対して、「叱る」と言う行動は相手に気付きを与えることを目的とします。 

 

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これと同様に、「非難」と「批判」も違います。

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批判は思いやり、非難は押しつけ

 

つまり、「叱る」「批判」にあるのは思いやり、気づかせる気持ちです。

しかし、この建前をなんとなく理解しながら、我々はこの2つを思いやりがないほうの「怒る」「非難」で使ってしまっているのではないでしょうか?

 

私がそうでした。先日、3歳の子供が朝の準備中にいうことを聞かず、わめいてばかりいて、保育園になかなか向かわないときに、叱っているつもりで怒っていました。その自分の感情に少し後で気づいたのです。

 

後から考えると、3歳の子供が保育園に10分遅れること、その日朝一でミーティングがあるわけでもなく誰かを待たせているわけではない私が10分遅れることの方が、10分を死守して思いやりを忘れて怒りをぶつける事よりも随分マシなことだと思いました。

 

「非難」は英語でいうと blame 、つまり責めるということで、「批判」はcriticizeやcomment on ということです。

これを文字通りとると、コメンテーターは「非難」ではなく「批判」をする人です。本当にできているでしょうか?それは「非難」じゃないでしょうか?誰かにコメントを求められて、非難していないでしょうか?

 

私はその後、子供との会話において、できるだけ気をつけるようにしていました。でも、叱っているようで怒っていることがあるのです。「思いやりを持っているか?」と聞かれたら最初は当然持っているのであまり違いが見えないのです。だから、叱り始めて結果怒っていたという過ちが起きるのだと考えました。

 

そこで、この違いをもっと強く意識するために、これらの行動をするときに、必ずセットで考えれば良いのではないかと思ったことがあります。

 

それは、「賞賛」です。

対象者が改善されたら、思いっきり「賞賛」するつもりで、「叱り」「批判する」のです。

 

例えば子供には「早く準備しよう!」といって、「うん、わかった」と返ってきたら思い切り「褒める」というのを想定して、話すのです。これなら、「怒る」にスライドする確率が減ります。「どうやって褒めるか」を考えて、発言をするからです。

 

もちろん大人の場合、賞賛をすると却ってバカにしているようになることもありますので、そういうことはしないことが多いわけですが、気持ちは同じなのかな、と思います。

 

直しても賞賛しないようなら、それは「叱り」ではなく「怒り」であり、「批判」ではなく「非難」なのです。

 

人を責めて、感情をそのままぶつけるということは、よくないと思うのです。

 

私は、まだまだ時間がかかるかもしれないですが、「怒る人」ではなく「叱る人」、「非難する人」ではなく「批判する人」になりたい。

 

つまり、もっと人を「賞賛する人」になりたいです。