12年のサラリーマン生活から飛び出した社長のブログ

株式会社エフォートサイエンスの社長、村上のブログです。本ブログは私的なものです。

あなたには「野望」がありますか?

(1) 期待してよい人とよくない人
フランスの作家ジードという方が「真実を探しているものを信じよ。真実を見つけたものは疑え」と言ったそうだ。非常に腑に落ちるフレーズだ。

 

これまで、色んな人と会ってきたし見てきた。いい意味でも悪い意味でも、期待を裏切られたこともある。

裏切られた多くのケースは、上のフレーズに集約されている気がする。「こんなの私にとっては簡単ですよ」という人のアウトプットは期待を裏切られることが多い。

もちろん、少し昔、その方が努力して作り上げた、築き上げた時ならそのアウトプットは良いものだったのかもしれない。しかし、時代は変わっている。そのアウトプットにはその人が、過去ではなく今、必死にならないとできない付加価値が加わらないと、色あせたものになる。

だから、「簡単ですよ」という人は、その領域ではあまり信じられない。なぜなら、その人は、自分の"できる"100点満点でものを語っているからだ。もちろん、期待せずに、アウトソースする場合にはこのような方々にお願いをすればいいケースもある。

 

一方、期待してよい人は、その課題を「面白いですね。」「やるならば、こういうことにチャレンジしたい」「なんとか頑張ればできると思います。」という。
こういう人は大体、自分を伸ばし、成長しようとしている人だ。このタイプの人は、自分の"やりたい"100点満点で語っている。期待を100%を超えて返すことをベースにしているのだ。

 

(2) 真実を探している人を見分ける方法
でも、真実を探している者と見つけた者ってどうやって見分けるのか。

自分なりの答えは、ストックではなくフローを見せてくれる人だ。
例えば、今まで何をやってきたか、どんな功績があるか(=ストック)を見せようとする人ではなく、今どういうことをやっており、何にチャレンジしているか(=フロー)を見せる人だ。
もっと端的に言うと、実績ではなく、行動だ。

 

実績はもちろん、行動ができることを証明する者の一つだ。しかし、その人が今から行動する保証は全くない。

「真実を見つけた」人は、マネージメントに立ってもいけない。その人の管理下に着く「真実を探している者」を腐らせるか、離脱させるだけだ。


こういう人は、この観点で話を聞いていると、言葉の端々でその兆候はキャッチできてしまう。

ただ、世の中の常識や多くの人、風潮は「真実を見つけた」人をもてはやす(ように見える)。それを見つけたこと自体はすごいことだが、その評価自体も現在ではなく、過去のものなのだ。

これからを作っていくことができるのは「真実を探し続けられる人」だ。
だから、その差に新卒も大企業出身のエリートも関係ない。

 

(3) 自分が「真実を探している者」でありつづける方法
人生の中で、いつでも真実をずっと探し続けるのは大変なことだと思う。時には見つけた感覚に浸りたくなる時もあるだろう。
しかし、その見つけた感覚で、承認欲求を満たしているとしたら、とても危険だ。

一度その甘い毒を飲んでしまうと、断ち切るには相当な覚悟と行動力がいる。どっぷり浸かってしまうと「すごかった人」ですら抜け出せなくなる。
これこそが、30~40代の成長の壁なのではないだろうか、と思う。

 

これを断ち切る方法が、一つある。

それは、いつでも、誰にでも話せる「野望」があるかどうか。野望とは辞書によると「身の程を超えた、大きな望み」だ。やったらできるだろうことではなく、一見できなさそうなことだ。別に大きくある必要はない。崇高で偉大である必要もない。

 

だから、時には嘲笑されたり、愛想笑いをされつつ無視されたり、あからさまな社交辞令で褒められることもある。多くの人に「やろうとしていること」ではなく、「できていないこと」を責められる。なので、そんな簡単なことではないかもしれない。


でも、その野望を言い続けられてさえいれば、少なくとも「真実を見つけた」側にはいかなくて済む。たまに、虚像の野望もあるが、その場合は行動が一切ないので、すぐにバレる。

 

さぁ、今のあなたには、野望がありますか?