頑張ったことに「見返り」を求めてよいのでしょうか?
さて、今日は「頑張った見返り」というテーマについて書いてみようと思います。
確か、半年前ほどだったか「頑張ったことに見返りを求めるのがおかしい」という発言をとある有名人の方がされていて、一部では称賛されていたようですね。私は、半分共感し、半分違和感を感じました。
今回、社長をはじめてみて、しかも従業員なしの1人の会社の社長なので、がんばりなんて見てもらえる人はいません。誰も評価してくれません。でも、それでも頑張ったことに見返りを求めています。ただし、私は、見返りが返ってこないと思わないで済むように、以下のように考えています。(いや、正しくは言い聞かせてます。w)
・がんばったら、「がんばったと人に言われること」を見返りと思わないようにする。
・なぜなら、その構図は、①がんばる=>②うちいくつかが形になる=>③うちいくつかが目標にプラスに貢献する=>④うちいくつかが人に知られる=>⑤うちいくつかが人に褒めようと思わせる=>⑥うちいくつか人が褒めてくれる、みたいな感じでしょう。
・こんな先のことをを見返りと考えたら、当然返ってこないと思いませんか。
よって、こう思うことにしました。
「求める見返りは、がんばったら、がんばったという事実が残ること、以上。」
そして、それぞれのつながりの確率がなんとなく計算できるようになったら、あといくつ頑張れば、いくつが形になりそうだな、と見える。
「頑張ったのに」と言えるのは、それぞれの中間確率が外れ値を出した時。つまり、信頼度95%ならば、そんなことが起こるのは5%くらい(のはず)。
と考えると、一人でも気兼ねなく頑張れる気がしてます。本当に単純な人間です。笑
タイトルで期待させたものを裏切るような言葉で締めますが、
「どんな見返りを考えても考えなくても、その人が結果頑張れる気持ちになれたらOK。特に決まりはなし、以上」
以上。