やってることが大きいとか、小さいとか・・・
あなたが神様だとして、なんでもいろんな体験を人に与えられるとして、
「やってることが大きいとか、小さいとか」をどうでもいいと思うための期間が必要なんだという前提があった時、
そしてそれに気づいてない誰かがいた時、あなたなら、どういう体験をさせて理解させようとするでしょうか?
おそらく、その人が大きな落胆をしたりすること、
信じていたものを失うような感覚や、またはその事実を見せつけたり、
小さな感動を与えたりするのではないかと思います。。
できれば、やれることは大きい方がいいと思います。
いろんな人に影響を与えられるような、すごい大きなことをやった方がいいと。(正確には目指した方がいい、と。いきなり前提を覆すような話ですが。)
でも、大きなことをやる前に、絶対にショートカットしてはいけない問題が、その前にある、それは、「小さなことにどれだけこだわれるか」、だと思っています。
なぜなら、「大きなことをしたからすごい」というのは本人の自己満足だけでしかなくて、多くの人は「正しいことをした人をすごい」と思うのだと思うからです。
これ自体が正解とは言い切れません。しかし、もし、将来、そういうことに気づいたとしたら、過去の自分に上の通り、「やってることが大きいとか小さいとか」どうでもいいことをなんとか教えようとするのではないでしょうか。
だから、上でいった誰かとは、今の自分なのです。
大きい小さいではなく、正しいか正しくないか。
それの方がよっぽど重要で、そこを間違うと、大きいけど正しくないことをやるだけで、あとで後悔するだけだと思うのです。
ということに少しでも共感できれば、今の目の前の障害をもう一度考えてみてください。
「あぁ、なるほど、そういうことか」「だからか」ということが多いのではないでしょうか。
いま目の前のことに、正しく向き合い、正しく挫折し、正しく立ち直って、正しくこなしていくこと。
そして、周りの人がいう正しいではなく、自分が思う正しいであること。
しんどいし、大変だけど、これから逃げるようでは大きくて正しいことは一生できない、と思っています。