12年のサラリーマン生活から飛び出した社長のブログ

株式会社エフォートサイエンスの社長、村上のブログです。本ブログは私的なものです。

「失敗」をしていないということは挑戦をしていないということ

やはり、スタートアップの世界は、とても面白い。

知れば知るほど、そう思う。

 

それは、人生を賭けて壮大なギャンブルをするようでもあり、狂ったように成し遂げたいことを追い続けるドラマのようなものでもある。今までが現実だったとするとどこかバーチャルに近く思えることがあるという意味でもドラマという表現はあっているように思う。

ドラマで言えば立ち上げ段階の今は、まだ苦悩し、屈辱を感じている段階かもしれないし、最終回まで続くのかすらわからない状況だ。

 

この世界だと、周りで自分たちを守ってくれる義務を持った人はほぼいない。でも守ろうとしてくれる同志は少しだけいる。
そこで起きる失敗も成功も全て自分が原因となる。言い訳はする相手すらいない。でも聞く必要のない言い訳を聞いてくれる人は少しいる。

 

その世界を感じる中で、衝撃的に感じたフレーズが、これ。

『「失敗」をしていないということは挑戦をしていないということ』

 

でもこれ、よく考えると皆が知っていることだった。
「失敗は成功の元」、「成功は99パーセントの失敗に支えられた1パーセントだ」とか、小学生でも知っている。

でも、これを本当の意味で実践できていないことに気づいた。「言うは易し」というやつだ。

 

大企業にいると、失敗の定義が違う形になるんだと思う。
そもそも「事業や施策の失敗」は許されないことが多く(全てではないが)、失敗は例えば報告や相談をしていないことだったりする。そして、「施策に失敗しまして」「事業に失敗しまして」は無能だとされるように思う。

 

本当は、

 

成功していること>失敗していること>何もやっていないこと

 

なのに、

 

成功していること>何もやっていないこと >>>失敗していること

 

みたいになっているイメージ。何もやっていない(に等しい)人があたかも上の位にいるように錯覚して見える不思議な現象ではないかと。そして自分は大別すると何もやっていない領域にいたに過ぎな買ったということに気づいた。

そして、それが私の当たり前を形成してしまっていたことにも、ようやく気づいた。

 

今、この立場になって、徐々にプロダクトができてきていて、でももっと綺麗にしたいという思いもあって、この状態だと恥ずかしいとか、なんというか出来かけの夢を否定されて、自分が自分自身に失望したくないとか思っているんじゃないだろうかと思えた。


最後は、成功するためにクリティカルな失敗は避けて、だからこそ小さな失敗をできるだけ早くたくさんして、成功に近づける、これが正しい。目の前に小さな失敗が見えるだけなら、Goということだ。ボロクソに否定され、けなされるくらいで済めば、それを避けて後で血だらけで死を待つだけ状態になるより遥かにいいということ。

 

こう考えた時に、これは人生と同じだと思った。

人生も同じだ。色んな小さな失敗をしてきたから、多くの人が今、大きな失敗をしない。子供が成長する過程はうまくこういう学習が作り上げられている。こうしたら人とうまくやれないとか、こうしたら怪我をするとか、色んなことを学んで少しずつ大人になるのと同じだと。

 

やらない限りは成功しないし、やらない限りは失敗しない。でも何もやっていないと、何の醍醐味も味わえない。まぁ、味わえないから味があることも知らないのかもしれないが、味があると知ってしまうと味わおうとしないことは罪になる。

 

とにかく、人生を終える時に「やっていない側だった」だけは思いたくない。
こういうのがダイレクトに体験、実感、反省、実践、やり直しができるのが、この世界なのだろうか、だから面白いのだと思う。

 

そしていつか、この縮図が人生を覆う時が来る。それが失敗であれ、成功であれ。

だから、今日挑戦できることをしていなかったら、そういう人生だったとなるだけなんだと。そう思った。