読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

12年のサラリーマン生活から飛び出した社長のブログ

株式会社エフォートサイエンスの社長、村上のブログです。本ブログは私的なものです。

オリンピック=夢追い人たちの伝記集。

Jリーグは見ないけど、日本代表戦は見る。海外で活躍する日本人選手のニュースは見る。

プロ野球は見ないけど、甲子園は見る。大リーグに行った日本人選手の活躍は見る。
ボクシングが好きというわけではないけど、タイトル戦は見てしまう。
柔道、水泳、レスリング、普段見ないけどオリンピックは見る。

 

結構多くの人が、そうなんじゃないだろうか。なぜなのかな、と漠然とは思っていたけど、あまり真剣に考えたことはなかったかもしれない。

 

ただ、今回、オリンピックを見ていて、「あぁ、なるほどな」と思った。それは、こういう共通項があるからだ。

「頑張ってきた人の夢が実現する場、瞬間がたくさん見れるから」

 

おそらく、そうなのではないかと思う。
多くの人が、選手の夢の実現に感情移入し、我が事のように疑似体験し、楽しんでいる。だから面白いんだと。

もちろん、プロ野球Jリーグも同じだと思う。好きな人はとことん知って、長い間見続けることでファンとして夢の実現を見届ける。
ただ、甲子園や日本代表戦などの方が、情報が入りやすく、簡単に入り込めるので、多くの人が好むのだと思う。
世界中の人が、国籍関係なく、成功した人間に、感情移入をし、賞賛し、尊敬し、それを感じられることを幸せに感じる。

面白いことに、活躍したオリンピックの選手たちの発言やストーリーがどんどん出てくる。
これによって、感情移入をしやすくなるが、そうすると自分と重ねることになり、いろんなことを考えさせてくれた。

特に、夢に向かって努力をする象徴として見ていた時にどことなく漠然と考えていた、夢実現のために必要なことがやはりビジネスであろうがスポーツであろうが共通しているとすごく思った。

その感動を忘れないためにも、今回は文章にしてみよう、と思う。

=================================================================
■「夢を実現するために必要なこと」
夢を実現するために、何かを持っていないといけない、とか恵まれていないといけないとかは基本的にはない、と思った。もちろん、それらは結果的には関係しているだろう。ただ、夢の実現ができない言い訳には一切ならない、というかしない。その時点で自分に負けているのだから。

単純化すると、必要なものは、一つだけ。「捨てる」こと、と言ってしまってもいいかもしれない。

多分、スポーツ選手自身は「捨てる」と考えていないかもしれない。なぜなら、人生のほぼ全てが夢に捧げられているので、そもそも捨てるようなものを持たないようにしているから。
「やらないと決めていること」くらいの感覚なのかもしれない。

ただ、そこは一般人に置き換えると、これまで手に入れてきたもの、今、守らなければならないと思っているもの、それらを捨てなければならない。
例えば、それなりに大きな企業に入って、何年も頑張ってきて、今のポジションをやっと手に入れたと思っているなら、それ。
安定した生活、安心できること、小さな贅沢、変化しない生活、苦労から逃げること。
最後のは、結構きつい。みんな苦労から逃げているとは思っていない。「それなりに頑張っているよ。苦労も人並みにしてるし。」
そう、だいたいみんな気づいてる。それ、苦労じゃないって。だって人並みだから。ただ生きている、しがみついているだけ。残念ながら、それは苦労でも努力でもない。

ただ、本当に努力をしている人は、自分では努力としては語らないらしい。
人が認めるものを努力と考えており、自分が努力をしてきました、ということは決して言わない。なぜなら、それ以上の苦労を現在進行形でしているから過去のものをもはや苦労とすら思えない、というようなことなんじゃないだろうか。

■「捨てる対象」に一貫性が必要
なんでもかんでも捨てればいい訳じゃない。捨てる基準が必要だ。それは自分の弱さを知ることで見えてくる。
簡単に見つける方法としては、「捨てたら、しんどいな」と思うものなのではないかと思う。

例えば、もう一度手にいれ直せと言われれば、できないとは思わないけど、大変と思う、それかもしれない。
例えば、運が良くて手にいれられたと思っているものがあるとすれば、それかもしれない。

逆に、取りたくないと思っている保守の選択肢も対象に入れなければならない。例えば、明確な目標を立てて英語を勉強すること、数学の勉強をやり直すこと、それら「やらないという選択肢」も「捨てる」対象だ。
スポーツ選手はそうやって、全て夢・目標がスタートとなってており、自分の欲求を先行させないようにしている。
欲求は脳や体が求めるもの。でも本当に欲しいのは自分が欲しいと決めたものという感じだろうか。
これができている状態を、「覚悟を決めた」というのではないだろうか。

■「捨てる対象の選定とタイミング」
ここまで来れば、あとは捨て方が重要だ。捨て方(対象の選定とタイミング)を間違えてはいけない。
例えば、一流の会社に就職できた人がその事実を捨ててみようと思う時、会社を辞めることとか仕事を変えることが唯一の選択肢ではない。えいや、で捨てても何も残らない、だろう。

なぜなら、その思いには、大義がない、どこに向かって捨てるのか、対象が不明だし、芯がない。人に説明できない。そんなの続くわけない。
なので、そんな捨て方をしたら、少しして我にかえり、のこのこと拾いに行くことになる。もっとも惨めなやつだ。

では、どうしたらいいのか。捨てることの覚悟ができたら、捨てることは手段であることを思い出す。それは決して目的ではない。

そのために、問いただす、「私は、1年後死ぬかもしれない。死んだら記憶も何も残らない、とする。あなたの人生を、家族や同僚や後輩はあなたの葬式で語ることになるだろう。さて、あと1年で何をやりたい?」

そこで浮かんだもの、それをやることをまず決断する。スポーツ選手は、それぐらい、人生をその夢や目標にかけている、と感じた。

■「決断すること」
人間には、習慣化されたものは無意識にできるという能力が備わっている。無意識にしてしまうと言った方が正しいかもしれない。
そして同時に、意識的に決断することにものすごく疲れる生き物でもある。だから、ほとんどの人が重要なことを実は決断していない、と思う。

しかし、スポーツ選手は違う。夢や目標に人生をかけているわけだけら、踏み出す一歩のほとんど全てを自分で決めている。
誰かがやっているから、皆がそうだから、という理由で大事な決断を極力しない。食事、練習、人との付き合い方、人に対する評価。
特に、人の評価は感情ではしない人達が多いと思う。自分で作り上げた物差しで測る。だからそれに上下はなく、単に長いか短いか、でしかない。

そのようにして、自らが言い訳する余地をことごとく消していく。
捨てるとは、そういう逃げる場を探し出し、片っぱしから潰すことなのだと思う。

本当に大事なことを意識を以って、決断する。そして、決断した、と宣言する。
「あれ、決断したんだっけな?」みたいなことにはしない。決断して、それが成功したか失敗したかをきっちり残す。

■そして、実行する
そして、計画通りに実行する。
その際に、人間は無意識に逃げてしまうことをよく知り、だからあえて「〇〇から逃げない」と明確に土俵にあげてあげることが必要だ。

具体的には、目標と覚悟が決まれば、捨てることリストと照合する。それが人にとっての逃げたいことリストだから。
その中のどれかが、自分の夢の邪魔をしているぐらいに考えて間違ってないかもしれない。それに気づくと、ようやくその罠から少しそれることができる。
あとは、それをやるだけ。捨てたものは2度と自分からは拾わない。

本当に相応しい人間だったとしたら、きっとそれらは戻ってくると考える。きっと何倍にもなって帰ってくる。
ここで感銘を受けた話。リオで4連覇を果たしたレスリングの伊調選手は以前大きな大会の決勝で負けて銀メダルになった時に、お姉さんから「惜しいね、もう少しで金メダルだったのに」というようなことを言われて次のように返事したらしい。
「内容がダメだから、たとえ取れても、その金メダルは嬉しくない」という。この記事を見て少し震える感じがした。単に勝つではなく、本当に勝ち続ける思考を持った人だと思った。

自分が努力して相応しい人間になれば、結果はついてくるし、ついてこなくても満足できる、なぜならそれが自分の限界だから。
これがつまり自分を信じれるかということなのだと。
だいたい、努力が切れる原因は決まっている。「期待>結果」が確定したタイミングだ。期待のタームと内容を最後に決めているのは実は自分自身なのだけど。
普通の人は、「ほら、頑張っても結果でないでしょ」と思うが、一流の人は違う。
なぜなら、目標立案から達成までの分析と計画を全て自分が決めてきているので、「まだ結果がついていないだけ。自分に足りないものが見つかった。自分の努力が足りないから修正しよう。さあ次へ」と考える。
その否定は、人生全てを否定するので、本当の努力をしてきた人はそこに疑いはもつ必要がない。やるのは反省だけ。

逆に、自分の努力によらない結果は、自分に相応しくないので望まない。つまり、結果が全てという人もいるが結果を出すことのプロセスを含めて全てコントロールするのだ。その上で結果を受け入れる。
特に今回メダルラッシュになったのが、個人種目が多かった(団体種目も、個人ごとの結果がはっきりする種目)ので、そういう個々の意思の強さや凄さを感じた。

これを世の中のサラリーマン社会に置き換えて考えてみた。
もし、こんなスポーツ選手チームのような会社があったら恐ろしいだろうな、と。

----

以上が、今回、オリンピックを見ていて、考えさせてもらったことである。

オリンピックは、スポーツは、本当に学ぶところが多い。夢を追う人たちの伝記をたくさん読んでいる感じがした。


自分自身、色々捨ててきたつもりでいたが、全然足りないな、と感じた。

魅せてくれたスポーツ選手、また、その舞台に立てなかったその世界を支えている選手の方々、それらを支える立場でいろんな犠牲を払ってきた方々に感謝したい、と素直に思った。

ありがとうございます。