「楽をすること」と「怠慢」は違う、という話。
みなさんは「楽をして生きていきたい」という言葉を聞くと、どこかネガティブな言葉に感じませんか?でも、私は もっとポジティブに捉えたい言葉です。今日はそんなお話です。
「楽(らく)=ポジティブ」
「楽をする」ということは「サボること、努力しないこと」のニュアンスを含んでしまいますよね。でも、いろんな見方で、この言葉のニュアンスを捉えてみましょう。
楽という感じを分解すると、木の上に大の字になっている人がいるように見えてきました。白というのは安全ということを表すのではないかと思います。と考えると、この人は、木に登る努力をして、休んでいるんですね。
そうすると、「楽」という字がポジティブに見えてきませんか?
「怠慢」を考える
一方で「怠慢」という言葉を考えてみましょう。なぜ、人は「怠慢」になるのでしょうか?おそらく、多くの人が「楽をしたいため」なのではないでしょうか。
ただし、私個人としては、これまでの人生の中で、怠慢になって得をした記憶は全くありません。楽をした気になるのは一瞬で、その後、負い目や後悔を感じ、結果、怠慢になるよりも、「苦」しい状態になると思うのです。そうです、楽の対義語である「苦」に近い言葉と思っているのです。
ではさらに、「怠慢」をより鮮明に意味分類するために「休憩」という言葉を利用しましょう。
「怠慢」と「休憩」の違いとは
私は、この両者を目的の違いで分けます。「怠慢」の目的は不明瞭ですが、「休憩」は次の努力のために、意識的に休む行為です。ベクトルは次の努力や頑張りに向いています。しかし、怠慢はそうではありません。今の頑張りの辛さから逃げることが目的になっていると思うのです。
ちなみに、怠慢は全てを腐らせる力を持っていると思っています。本当に怖いです。大体、30代頃から人としての成長が止まってしまう人の多くの原因がこれだと思っています。
さて、少し話がそれてしまいましたので、「楽をする」と「怠慢」の違いに戻しましょう。
「怠慢」は逃避であり「楽をする」は努力の積み上げの先である
「楽をする」ということは、創意工夫や根回しや事前努力や仕組化により、気を張らないでよい、少ない労力で大きな成果を得られる状態を作ることだと思うのです。木に登るという少しの努力をすることで、外敵から安全になり、楽をすることができるのです。
この前提で、「楽して生きていきたい」「楽な暮らしをしたい」と言ってみると、どうでしょう。少しポジティブに聞こえるのではないでしょうか。
結局、何が言いたいのか(笑)
ここまで議論してきましたが、正直、私はそんなにちゃんと使い分けてるわけではありません。ただ、伝えたかったことは、同じように思える言葉や行動でも、少しの意識の違いによって、全く異なったものになる、ということです。
従って、私は表面的な言葉や行動や事象は、それほど重要なことでないと思っています。政治家の失言や、有名な方の失敗を大きく取り上げる社会になってしまってますが、本当に重要なことは、本質を見抜き評価・反応することであり、表層に惑わされることではないと思います。
しかし、人がたくさん集まれば集まるほど、ほとんど表層的な側面で判断されてしまうようです。もったいないと思ってしまいます。大企業病とは、この症状の現れ方のものだと思うのです。
「独立・起業」と「本質的なこと」の距離
しかし、私は「独立・起業」することがイコール「本質」に近くなることだとは思っていません。むしろ、遠くなりそうなこともあります。例えば、生きていくためには、自分が適切な価格にまで落としきれていない未完成のサービスを売らなければなりません。これは、本質的なことではありません。
しかし、私はそういう場合には、本質に近づけるよう最大限の努力を行い、何れその時に、恩返しができることだけを信じ、最低限周りに頼りつつ、できるだけ本質を見失わないように強く意識するようにしています。誰も言わないでいてくれますが、「借り」を作っていることを心に刻み込む、のです。
つかみどころが難しいのですが、これを失ってしまうと、おそらく全てを失うことになると本気で思っていますし、逆にこれを守り続けられれば、本当にやりたいことが実現できるようになると信じています。
そして、実現したいこととは、皆がそれぞれの努力の上に成り立つ「楽ができる社会」です。
その実現を目指して、これからも頑張っていこうと思います。