何かを"習得"するということ
何かを習得しようとする時、いつも感じることがあります。
プログラミング言語でも、英語でも、仕事でもそうですが、以下を感じます。
・わからない時は絶望的な気持ちにすらなる
・後で考えるとすごく簡単に思える
・乗り越えた時に、達成感を感じる
・関連本が昔はさっぱり分からなかったはずなのに、すごいわかりやすい本に思える(不思議になって、表紙を何度も見返したりしますよね。違う本なんじゃないかと)
何かを習得するというのは、本当に大変だと、改めて感じます。
自分の無能さ、無力さ、無知識さをじっくり知り向き合い、さらけ出す作業に等しいからでしょう。
なぜ、こんなに大変なのかを考えてみました。
たぶん、以下のようなことから出てきているのではないでしょうか。
①「見る」「知る」と「理解する」「反復して覚える」と「応用する」の間にはそれぞれ溝がある(習得のキャズム、みたいに言っておきましょう)
②いつも、今の自分ならと奢って、端折れるところを端折ってしまうこと(で、そこが大事だったりする)
③最も最短の選択肢は、最も時間がかかるように見えること
つまり、すべて身から出たサビ。具体的には以下のような感じでしょう。
目の前に会得したいことがあるとします。
例えば、スノーボードを始めてやるとします。
スキーの経験がある方なら、他の人が滑るのを"見て"、簡単そうと思うのではないでしょうか?
うまい人に少しコツを聞けばできそうじゃないかと。ちょっとコツを聞きに行って"知る"のです。
基本練習なんて端折っていいでしょう、と思い込みます。("理解"、"反復して覚える"をスキップ)
そして、いきなりコースで滑ろう("応用"しよう)とすると、思ったより難しい。
まぁ、何回か滑っていればできるんじゃないかと、”応用”を繰り返す。
何回やっても難しい。だんだん向いてないんじゃないかと思い出す。
あぁ、私はスキーでいいやと諦めて終了。
ここで、地道に基本から始めていれば、この人はもう滑れていたかもしれません。
そうなんです、何の達人だろうが、経験があろうが、得意だろうが、新しいことをやるときは、すべてのプロセスを赤ちゃんのように愚直にやりましょう。
たくさん失敗しましょう。失敗自体を楽しみましょう。
それが、結局最も近道なのです。残念ながら、映画にあるような頭にインストールしたら、その場でなんでもできるようんある世界はないんです。
でも、その近道を通ってると、ある時みんな諦めている現状に出くわし、なぜか愚直な自分が先頭集団にいるような感覚にすらなることもあるでしょう。そして、それだけ大変だからこそ今までやってきたことに愛着と誇りが持てるようになるのです。
なんか、そんな感じがしました。願望も込めて。
あ、これは我々凡人の場合の話です。天才の方々は気になさらないでください。
私は、凡人のひとりとして今日も愚直に頑張ろうと思います!